秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや・やすひとしんのう)
明治 35年(1902)
昭和 28年(1953)
昭和
皇族
秩父宮ラグビー場
北青山2-8-35

スポーツの宮様 ラグビー
明治35-昭和28(1902-1953)。皇族。大正天皇の第2皇子淳宮(あつのみや)として生まれ、成人して秩父宮家を創立。さまざまなスポーツを愛好し“スポーツの宮様”として親しまれました。昭和3年(1928)旧会津藩主・松平家の勢津子と結婚。第二次大戦中は陸軍に入り、陸軍少将にまでなりましたが、一方で肺結核を病み、戦後は療養生活を送りながら執筆活動を行いました。
ラグビーの聖地に名を残す“スポーツの宮様”
登山やスキーなど、広くスポーツ好きで知られた雍仁親王ですが、とりわけラグビーは、日本ラグビー協会総裁を務めるなど、その振興に尽くしました。昭和28年(1953)に雍仁親王が亡くなると、それまで「東京ラグビー場」という名称だった北青山2丁目の競技場は「秩父宮ラグビー場」と改称。昭和22年(1947)に完成以来、数々の名試合が行われ、今では日本のラガーマンたちの聖地となっています。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
秩父宮ラグビー場 (北青山2-8-35)
『皇族に生まれて 秩父宮随筆集』(渡辺出版)

『秩父宮 昭和天皇弟宮の生涯』(保阪正康/中公文庫)
