勅使河原蒼風(てしがはら・そうふう)
明治 33年(1900)
昭和 54年(1979)
昭和
華道家
草月会館
赤坂7-2-21

イサム・ノグチ いけばな 草月会館
明治33-昭和54(1900-1979)。華道家。華道家の勅使河原和風の長男として大阪に生まれました。型通りに生けるそれまでのいけばなに疑問を持ち、父と訣別。昭和2年(1927)生ける人の個性を尊重する芸術としてのいけばなを提唱する草月流を創流し、翌年JOAK(現・NHK)の「家庭講座」に出演して広く知られるようになりました。生涯を通じて、日本はもとより欧米各地でも積極的に展覧会やデモンストレーションを行い、「IKEBANA」を世界的な文化に高めました。また、いけばなばかりでなく、彫刻、絵画、書も手がけるなど、幅広い創作活動を最晩年まで続けました。
赤坂の草月会館で、新しいいけばなを追求
蒼風は、青山高樹町(現・南青山)の三間しかない借家から草月流をスタートさせました。看板を掲げたものの、1年間ひとりの入門者もおらず、その間、うちわの絵を描き、料亭の彫り看板を作るなどの内職をするかたわら、いけばなの研究に没頭しました。入門者が増えるにともない教場も移転し、昭和8年(1933)麹町三番町に定めた教場が、太平洋戦争中の空襲で焼失。昭和22年三田綱町(現・三田2丁目)に、昭和33年赤坂に移転し、旧草月会館を開館しました。
現在の新草月会館が完成したのは昭和52年(1977)。旧会館同様丹下健三氏による建築設計で、1階の草月プラザはイサム・ノグチによる石庭「天国」となっています。草月ホールではコンサートなども行われ、いけばなだけでなく幅広い芸術を楽しめる拠点として親しまれています。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『創造の森』(草月出版)
『花のピカソと呼ばれ華道を超えていった宗匠勅使河原蒼風の物語』(勅使河原純/フィルムアート社)
草月会館(赤坂7-2-21)
『私の花』(講談社インターナショナル )
『Ikebana』(草月会)
『勅使河原蒼風 花伝書』(草月出版)

『勅使河原蒼風 瞬刻の美』(二玄社)
『勅使河原蒼風』(土屋恵一郎/河出書房新社)
『はな一会 蒼風の眼と心』(世界文化社)
