戸板関子(といた・せきこ)
明治 2年(1869)
昭和 4年(1929)
明治 大正
教育者
戸板裁縫女学校
芝金杉
芝2-21-17

裁縫技術 戸板女子短期大学
明治2-昭和4(1869-1929)。教育者。松操女学校や横浜フェリス女学校などで学び、18歳で郷里・仙台の小学校教員に。その後フェリス女学校、麻布の英和女学校などで裁縫教師を務め、明治35年(1902)戸板裁縫女学校(現・戸板女子短期大学)を創立。合理的な「分解式一斉教授法」を採用し、裁縫技術のスピード化を図りました。また社会事業や慈善事業にも尽力しました。
自立のための実学を建学の精神とし、戸板学園を創立
祖父は仙台藩の天文学者・数学者、父は漢学者という家庭環境で育ち、自らもフェリス女学校で英語を学びながら裁縫を教える自立した女性でした。そして明治35年(1902)33歳という若さで、戸板女子短期大学の前身である戸板裁縫学校を芝公園の一角に創立します。考案した「一斉教授法」によって生徒数が激増したため、2年後、現在の芝2丁目に移転。大正5年(1916)には、中・高等部の前身となる三田高等女学校も開校されました。
関子は裁縫技術を習得させることによって、女子の人間形成を目指す指導を展開しました。「知好楽」という『論語』の一節を用いた指導理念は校訓として受け継がれ、東京大空襲で三田本校舎の大半が焼失したときも、焼けた校舎の中で授業が再開されたそうです。私生活では鳥居坂教会の牧師武田芳三郎と結婚、慈善事業や少年少女の感化事業などに貢献しました。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『日本女性人名辞典』(日本図書センター)
戸板女子短期大学(芝2-21-17)
『戸板裁縫全書』
