徳川頼倫(とくがわ・よりみち)
明治 5年(1872)
大正 14年(1925)
明治 大正
華族
南葵文庫
飯倉町6-14
麻布台1-5-15

永井荷風 島崎藤村
明治5-大正14(1872-1925)。華族。徳川御三卿の1つ田安家に生まれ、明治39年(1906)養子として入っていた紀伊徳川家の第15代当主となりました。明治29年(1896)から2年間のケンブリッジ留学・欧米諸国視察を経て帰国。西欧の図書館制度に感銘を受け、明治31年、自邸内に日本初の私設図書館・南葵文庫を設立しました。大正2年(1913)からは日本図書館協会総裁も務めました。息子の頼貞も南葵文庫の南隣に演奏会や講演の場・南葵楽堂をヴォーリズらの設計で建てており、親子で文化活動に尽くしたといえます。
日本初の私設図書館を飯倉町に設立
明治31年(1898)欧米より帰国した頼倫は、紀州家に残っていた2万冊余りの蔵書をもとに、飯倉町の自邸の一角に図書館を設立し、「南葵文庫」と名づけました。1階に閲覧室、2階には読書好きの頼倫自らが詰めていたという庫主室や会議室があり、その後明治41年には塔屋付きの新館が建てられて、一般公開をするに至りました。
麻布市兵衛町の偏奇館に住んでいた永井荷風は週2、3度は通ったといい、麻布飯倉片町に住んでいた島崎藤村も「飯倉付近の文化的施設として誇りうるもの」として南葵文庫を挙げています。大正12年(1923)の関東大震災後、蔵書のすべては東京帝国大学の図書館へ寄贈され、翌年、南葵文庫は閉鎖されました。その建物の一部は熱海伊豆山温泉でホテル「ヴィラ・デル・ソル」として使用されており、平成20年には、国の登録有形文化財になりました。頼貞の南葵楽堂は関東大震災で倒壊後再建が断念され、イギリスから取り寄せたパイプオルガンが上野恩賜公園の奏楽堂に移設されています。
◎参考文献
『南葵文庫-目学問・耳学問』(坪田茉莉子/郁朋社)
『内田魯庵山脈-〈失われた日本人〉発掘』(山口昌男/晶文社)』
『絵はがきで見る日本近代』(富田昭次/青弓社)
『南葵文庫~目学問・耳学問』(坪田茉莉子/郁朋社)
『内田魯庵山脈~〈失われた日本人〉発掘』(山口昌男/晶文社)』
