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(下)「桐拭漆二十弁喰籠」 所蔵:港郷土資料館
中臺瑞真関連写真
(下)「桐拭漆二十弁喰籠」 所蔵:港郷土資料館
中臺瑞真関連写真
(下)「桐拭漆二十弁喰籠」 所蔵:港郷土資料館

中臺瑞真(なかだい・ずいしん)

  • 生年
大正 元年(1912)
  • 没年
平成 14年(2002)
  • 活躍年代
昭和 平成
  • 職業
工芸家
  • ゆかりの地
中臺瑞真工房
  • キーワード
人間国宝 木工芸


  • プロフィール
大正元-平成14(1912-2002)。工芸家。大正14年(1925)指物師(さしもの)師・竹内不山に入門し、茶道具を中心とした指物技術や透かし彫りなどの技法を学びました。昭和8年(1933)独立、第二次世界大戦で入隊中も木製戦闘機を制作するなど、木工芸の世界を追求してやみませんでしたが、昭和30年代に入ると指物にある種の限界を感じ、桐材を用いた刳物(くりもの)作りに精力を注ぐようになりました。昭和37年(1962)から日本伝統工芸展に入選を重ね、昭和58年(1983)勲四等瑞宝章受章、翌年には重要無形文化財「木工芸」保持者として人間国宝に認定されました。

  • 港区とのかかわり
虎ノ門に仕事場を構え、数多くの優れた木工芸品を生み出す

昭和8年(1933)芝区西久保巴町(現・虎ノ門3丁目)に独立。以来、指物から刳物まで、人間国宝・中臺瑞真を代表する優れた作品の数々がその工房から生み出されました。次女の中臺憲子さんの『父の音』と題する文章の中に「仕事場は父にとって、母親の胎内のような所だったのではないかと思う。何にも犯されない守られている所。大好きな木の温もりと香り、長年使い込み、気心の知れた道具達に包まれ、穏やかな素直な自分に戻れる所」とあり、瑞真にとって仕事場がどのようなものであったのかが窺い知れます。昭和62年(1987)に港区区政功労者表彰、平成9年(1997)には港区名誉区民顕彰を受け、また過去4回にわたり港区立港郷土資料館において特別展が開催されました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『一周忌追悼展 中臺瑞真-人間国宝の技と木工芸の世界』(港区立港郷土資料館)

  • 関連出版物
『一周忌追悼展 中臺瑞真~人間国宝の技と木工芸の世界』(港区立港郷土資料館)
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  • 港郷土資料館収蔵資料
「鉄刀木飾棚」、「猿引棚」、「桐十二弁塗盛器」、「桐木地六弁盛器」、「桐木地二十四弁輪花盛器」、「桐木地四方盆」、「桐木地単尺箱」、「桐梅花箱」、「桐菱形花弁箱」、「拭漆蘇芳染入角手筥」、「桐溜塗入角筥」、「桐拭漆二十弁喰籠」、木工芸制作道具