イサム・ノグチ(のぐち・いさむ)
明治 37年(1904)
昭和 63年(1988)
昭和
彫刻家
新萬來舎
三田2-15-45

慶應義塾大学 草月会館
明治37-昭和63(1904-1988)。彫刻家。ロサンゼルスに生まれ、詩人である父・野口米次郎と暮らすために2歳のときに来日しますが、13歳で単身渡米。その後パリへ留学して彫刻家に。再来日した際には、京都を訪れて日本の美に触れます。太平洋戦争中は日系人強制収容所に自ら入所。戦後に3度目の来日を果たし、禅の庭や伝統技術から大きな影響を受けます。昭和26年(1951)に女優・山口淑子(李香蘭)と結婚しますが、昭和33年に離婚。その後はアメリカと日本で精力的に活動し、世界的な彫刻家として高い評価を得ました。
慶應義塾大学の新萬來舎を共同制作
明治初期、福沢諭吉は広く人々が対話しあう施設として「萬來舎」を造りましたが、戦災で焼失。昭和27年(1952)、ノグチはその精神を継承する「新萬來舎」の談話室を、建築家の谷口吉郎とともに造ります。当時ノグチは日米の狭間に立たされて複雑な心境にありましたが、父・米次郎がかつて慶應義塾の教授を務めていたこともあり、この仕事を通して「父とこの国の人々と和解」するつもりで臨みました。現在、談話室は慶應義塾大学南館のルーフテラスに移動し「ノグチ・ルーム」として保存されています。
昭和52年(1977)、ノグチは赤坂の草月会館のロビーに「天国」を設計します。世界的に高い評価を得ている石と水の空間は、今でも訪れた人の心を癒しています。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『評伝イサム・ノグチ』(ドーレ・アシュトン/白水社)
草月会館(赤坂7-2-21)
『イサム・ノグチ~宿命の越境者』(上・下巻)(ドウス昌代/講談社文庫)
『評伝イサム・ノグチ』(ドーレ・アシュトン/白水社)
