乃木希典(のぎ・まれすけ)
嘉永 2年(1849)
大正 元年(1912)
明治
軍人
旧乃木邸
新坂町
赤坂8-11-32

青山霊園 乃木神社 乃木坂
嘉永2-大正元(1849-1912)。軍人、陸軍大将。長府藩馬廻役(うままわりやく)乃木希次(まれつぐ)の三男として誕生し、戊辰戦争や西南戦争に従軍。ドイツ留学後、日清戦争で歩兵第1旅団長として出陣、日露戦争では第3軍司令官として旅順攻略にあたりました。晩年は、のちの昭和天皇の教育に携わる学習院長に。大正元年の明治天皇の大葬当日、自邸で妻静子とともに殉死。
生誕から自刃まで、時代を映し出す壮絶な生涯
明治軍人の典型とされる乃木将軍は、江戸麻布日ヶ窪、長府藩毛利甲斐守の上屋敷長屋で生まれました。幼名は無人(なきと)、成人して希典と改名します。敷地内には少年時代、寒中に寒いと泣く無人に父が冷水を浴びせたという「産湯の井戸」、浪曲などで有名な「乃木将軍と辻占売(つじうらうり)」の銅像が残されていましたが、再開発事業によって井戸は撤去され、銅像は旧乃木邸へ、「乃木大将生誕之地」の石碑も六本木ヒルズ南側のさくら坂公園へ移設されました。
明治12年(1879)より生涯を過ごした赤坂には、港区有形文化財に指定されている旧乃木邸及び馬小屋があります。馬小屋は貴重な煉瓦造で、邸宅はフランス陸軍連隊本部の建物を参考に自らが設計したと伝えられています。死後、隣地に乃木神社が建てられ、社前の坂は乃木坂に改称されました。亡骸は青山霊園に眠っています。
◎参考文献
『東京10000歩ウォーキング』No.7(籠谷典子・編著/真珠書院)
『港区史跡散歩』(俵元昭/学生社)
乃木大将生誕之地(六本木6-9 六本木ヒルズ内)
旧乃木邸及び馬小屋(赤坂8-11-32 乃木公園内)
乃木神社(赤坂8-11-27)
乃木希典の墓(南青山2丁目・青山霊園)
『乃木希典~予は諸君の子弟を殺したり』(佐々木英昭/ミネルヴァ書房)
『乃木希典』(福田和也/文藝春秋)
『人間乃木希典』(戸川幸夫/学陽書房)
『乃木希典』(松下芳男/吉川弘文館)

乃木文庫(非公開)、乃木家葬儀関係文書(非公開)、乃木夫妻肖像写真、書、乃木公園案内(大正2)