野口英世(のぐち・ひでよ)
明治 9年(1876)
昭和 3年(1928)
明治 大正
細菌学者
高山歯科医学院
三田4-18

伝染病研究所
明治9-昭和3(1876-1928)。細菌学者。福島県の貧しい農家に生まれ1歳で左手に火傷を負い、その治療をする医者を見て医学を志すようになりました。明治26年(1893)医師免許を取得。伝染病研究所の助手を経て明治33年渡米、ロックフェラー医学研究所に勤め、梅毒病原体スピロヘータの純培養に成功。その名を世界に知られました。昭和3年(1928)、西アフリカのアクラ(現ガーナの首都)で黄熱病の研究中に感染。51歳の生涯を終えました。
伝染病研究所で研究者としての基礎をつくる
英世は、生涯の恩人となる血脇守之助を頼って福島から上京。高山歯科医学院(現・東京歯科大学)で小間使いをしながら、済生学舎に通い、医者をめざします。高山歯科医学院は高輪の伊皿子坂の高台にあり、現在「歯科医学教育発祥之地」という碑が残されています。
医術開業試験に合格した後に、英世は細菌学に興味をもちます。当時、芝区愛宕町にあった北里柴三郎の伝染病研究所は、細菌学の分野では最先端の研究所でした。帝国大学を出ていなければ入所が許されないとされていましたが、英世は特別に入所を許可され、ここで後の活躍の基礎となる学問を身につけました。
◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『野口英世』(中山茂/岩波書店)
歯科医学教育発祥之地(三田4-18・伊皿子交差点付近)
『野口英世』(中山茂/岩波書店)
『野口英世は眠らない』(山本厚子/綜合社)
『正伝野口英世』(北篤/毎日新聞社)
