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提供:石津事務所
石津謙介関連写真
提供:石津事務所

石津謙介(いしづ・けんすけ)

  • 生年
明治 44年(1911)
  • 没年
平成 17年(2005)
  • 活躍年代
昭和 平成
  • 職業
ファッションデザイナー 服飾評論家
  • ゆかりの地
VAN99ホール
  • 現地名
北青山3-5-6地図を表示

  • キーワード
メンズファッション VAN


  • プロフィール
明治44-平成17(1911-2005)。服飾デザイナー、服飾評論家。明治大学卒業後、服飾メーカー勤務を経て、昭和26年(1951)大阪でメンズアパレル「ヴァンヂャケット」を設立。「VAN」ブランドとともにアイビールックを世に広め、若者のライフスタイルや思想にも大きな影響を与えましたが、昭和53年(1978)倒産。その後は服飾評論家やファッションプロデューサーとして活躍、日本メンズファッション協会最高顧問も務めました。

  • 港区とのかかわり
青山通りを拠点にファッション界を席巻した“メンズの神様”

昭和30年(1955)大阪から東京に進出した石津は、米国東部の大学群アイビーリーグの学生ファッションをヒントに「アイビールック」を発表。ブレザーとボタンダウンシャツを基調としたファッションは若者の間で爆発的な人気を呼び、VANを着て東京・銀座のみゆき通りを闊歩する「みゆき族」を生み出すなど、社会現象まで巻き起こしました。

人気はさらに拡大し、昭和39年に本社を北青山3丁目に構えてからは、周辺に関連施設が次々と誕生。本社1階に造られた「VAN99ホール」からは、さまざまなカルチャーが発信されました。TPOという造語や、トラッドやカジュアルなどの言葉を定着させ、「VANの街・青山」といわしめるまでに成長させたものの、倒産によって姿を消すこととなります。1960-70年代にファッション界を席巻し、“メンズの神様”と呼ばれた石津は、その後も青山を拠点に活動し、平成17年(2005)5月に93歳で永眠しました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『この人からはじまる-VANの時代-』(鹿島茂/新潮社)

  • 著作
『男たちへの遺言 永遠のダンディズム論』(東洋経済新報社)
『できる男の服装戦略』(チクマ秀版社)
『「変えない」生き方』(毎日新聞社)
『石津謙介味ばなし』(平凡社)
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  • 関連出版物
『VANヂャケット博物館』(オウトゥージャパン編集/扶桑社)
『この人からはじまる~VANの時代~』(鹿島茂/新潮社)
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