福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)
天保 5年(1835)
明治 34年(1901)
江戸 明治
教育者
慶應義塾大学
三田2-15-45

芝新銭座学塾跡 善福寺 三田演説館
天保5-明治34(1835-1901)。教育者。大坂の緒方洪庵の適塾で学び、安政5年(1858)江戸で蘭学塾を開きます。英語を独修し、安政7年に幕府の遣米使節に同行して咸臨丸で渡米。さらに2度の欧米視察を通して『西洋事情』を著し、欧米文化の紹介に努めました。慶応4年(1868)蘭学塾を慶應義塾と改称し、維新後も洋学の普及を主唱。上下貴賎の差別が根強く残っている役人を嫌い、「独立自尊」を基本とする教育に情熱を注ぎました。
三田の慶應義塾を独立自尊の学びの地に
諭吉の開いた蘭学塾は当初は築地にありましたが、慶応4年(1868)に芝新銭座に移転。元号にちなんで「慶應義塾」と名づけられました。旧神明小学校の跡地に、学塾跡の記念碑があります。現在の三田に移転したのは明治4年(1871)。島原藩の屋敷地で、「正味一万四千坪、土地は高燥にして平面、海に面して前にさえぎるものなし、空気清く眺望佳なり」と諭吉は大いに満足しています。
欧米のスピーチに倣って演説の訓練をすべきと考えた諭吉は、明治8年には私財を投じて日本初の演説会堂「三田演説館」を建て、毎月のように演説会を催しました。諭吉の私邸も敷地内にあったため、三田キャンパスには彼の終焉の地を示した石碑が設置されています。墓は麻布の善福寺にあり、2月3日の命日には今でも多くの学生が墓参に訪れます。
◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『福翁自伝』(福沢諭吉/慶應義塾大学出版会)
芝新銭座学塾跡(浜松町1-13-1)
三田演説館(三田2-15・慶應義塾大学)
『学問のすすめ』(岩波文庫)
『福翁自伝』(岩波文庫)
『文明論之概略』(岩波文庫)

『福沢諭吉の哲学 他六篇』(丸山真男/岩波文庫)
『福沢諭吉の真実』(平山 洋/文春新書)

福沢・松方・渋沢他手翰、書簡、「訓蒙窮理図解」、「西洋旅案内」、「福澤諭吉の遺風」、「増訂華英通語」(万延1)、「学問のすすめ」初版・再刻版、肖像写真