このページの先頭です 写真資料へ移動 キーワードデータへ移動 プロフィールへ移動 港区とのかかわりへ移動 ウォーキングポイントへ移動 著作へ移動 関連出版物へ移動 港郷土資料館収蔵資料へ移動 末尾メニューへ移動




前田久吉(まえだ・ひさきち)

  • 生年
明治 26年(1893)
  • 没年
昭和 61年(1986)
  • 活躍年代
大正 昭和
  • 職業
実業家
  • ゆかりの地
東京タワー
  • 現地名
芝公園4-2-8地図を表示

  • キーワード
産業経済新聞


  • プロフィール
明治26-昭和61(1893-1986)。実業家。大阪の農家に生まれ大阪市内で新聞販売店を開業。大正11年(1922)『南大阪新聞』(のち『大阪新聞』)を創刊。昭和8年(1933)『日本工業新聞』(のち『産業経済新聞』)を創刊し、戦後同紙の東京進出を実現。参議院議員を務めるかたわら、日本電波塔社長として東京タワーを開設し、関西テレビ放送、大阪放送の社長に就任。航空事業、地域開発事業も手がけました。

  • 港区とのかかわり
333mから地上を照らす東京のシンボルタワーを建設

新聞配達員から身を起こし、一代で大阪の新聞王に上り詰めた立志伝中の人物です。戦後は『産業経済新聞』の東京進出を図り全国紙に育成、新聞界に風雲を巻き起こしました。またテレビ時代を迎えようとしていた昭和30年(1955)当時、放送事業の将来性に着目し、総合電波塔を構想。前田は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。科学技術が伸展した今なら必ずできる」と強く主張しました。

およそ4000tの鉄材をミリの誤差もなく職人の手作業で立ち上げ、わずか15か月というスピード工事の末、昭和33年クリスマスイブの前夜に東京タワーは開業しました。エッフェル塔より13m上を行く高さ333mを誇り、関東エリア半径100km圏の電波をカバー。世界で最も高いこの自立鉄塔は、アメリカのテレビで特集が組まれるなど、世界各国に驚きを与えました。以来、前田の夢は現代まで引き継がれ、東京の観光名所として愛され続けています。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『朝日人物事典』(朝日新聞社)

  • ウォーキング・ポイント
東京タワー(芝公園4-2-8)

  • 著作
『東京タワー物語』(東京書房)
『日々これ勝負』(創元社)
著作を検索