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三浦 環(みうら・たまき)

  • 生年
明治 17年(1884)
  • 没年
昭和 21年(1946)
  • 活躍年代
大正 昭和
  • 職業
声楽家
  • ゆかりの地
港区各所
  • キーワード
オペラ 自転車美人


  • プロフィール
明治17-昭和21(1884-1946)。声楽家。音楽家になることに反対だった父親を説得し、軍医との結婚と引き換えに明治33年(1900)東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学。卒業後は20代の若さで母校の助教授になりました。大正3年(1914)渡欧し、ロンドンオペラハウスで『マダムバタフライ』の初舞台を踏み、以後、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で名テナー歌手カールソーと共演するなど、日本人初の国際プリマドンナとして活躍しました。

  • 港区とのかかわり
“自転車美人”が東京中の評判に

明治17年(1884)日本初の公証人の娘として芝今入町に誕生。環が通った東京女学館は日本の女子教育の先駆けとして設立された学校で、当時は現在の広尾ではなく虎ノ門にあり、環はそこで声楽家としての才能を見出されました。声楽家に反対の父は、自転車通学をさせれば恥ずかしがって声楽家への夢を諦めるのではないかと思い、環を上野の東京音楽学校まで英国製の自転車で通学させます。しかし環は颯爽と自転車通学を続け、声楽家の夢を実現させました。当時若い女性が自転車に乗るというのは大変珍しく、自宅の芝今入町から上野までの沿道には見物人があふれ、新聞には“自転車美人”として写真入りで紹介されるなど大評判になりました。

◎参考文献
『コンサイス日本人名事典』(三省堂)
『先駆者たちの肖像』(ドメス出版)
『日本奇人・稀人事典』(東京堂出版)

  • 著作
『わが芸術の道』(スメラ民文庫)
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  • 関連出版物
『お蝶夫人』(瀬戸内春美/講談社文庫)
『泣きどころ人物誌』(戸板康二/文藝春秋)
『恋と芸術への情念』(三枝和子/講談社)
『芸の道ひとすじに』(大庭みな子/集英社)
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