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所蔵:周防大島文化交流センター
宮本常一関連写真
所蔵:周防大島文化交流センター

宮本常一(みやもと・つねいち)

  • 生年
明治 40年(1907)
  • 没年
昭和 56年(1981)
  • 活躍年代
昭和
  • 職業
民俗学者
  • ゆかりの地
アチック・ミューゼアム
  • 旧地名
芝三田綱町
  • 現地名
三田2丁目地図表示不可

  • キーワード
渋沢敬三


  • プロフィール
明治40-昭和56(1907-1981)。民俗学者。大阪で小学校の教員を務めるかたわら民俗学に興味をもち、全国をくまなく旅して埋もれた日本民俗を発掘して回りました。終生日本列島の隅々まで実地調査を重ね、その膨大な旅の経験を元にした、漁民などの移動する人々や民具等を対象とする研究は、柳田國男の主に定住型の稲作農民を対象にした「柳田民俗学」とは別の、「宮本民俗学」ともいうべき独自の学問を確立しました。

  • 港区とのかかわり
渋沢敬三のアチック・ミューゼアムを拠点に、全国をくまなく調査

大阪で教員をしていた宮本は、昭和10年(1935)近畿民俗学会に出席した渋沢敬三と出会いました。渋沢に、郷里である瀬戸内海の漁村生活誌をまとめるように勧められ、昭和14年妻子を大阪に残して単身上京し、芝区三田綱町(現・三田2丁目)にあった渋沢のアチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所)に入り民俗調査を開始しました。

「……瀬戸内海を知るには日本全国を歩いて見なければ、本来の瀬戸内海の姿は浮び上って来ない。旅はいくらしてもよいから私の所に来てはと勧め、これに同意して宮本君は私の家に起居することになった。爾来二十二年間、同君は私の家族の一員となってしまった」(渋沢敬三「わが食客は日本一 努力の民俗学者宮本常一君のこと」『文藝春秋』’61年8月号)。このように渋沢の惜しみない援助と強い学問的影響とを受けながら、全国を歩き、風景資料としての膨大な写真を撮り、精力的に調査・研究を続けました。

◎参考文献
『朝日人物事典』(朝日新聞社)
『宮本常一 旅する民俗学者』(佐野眞一編/河出書房新社)

  • 著作
『忘れられた日本人』(岩波文庫)
『民俗学の旅』(講談社学術文庫)
『日本の村・海をひらいた人々』(ちくま文庫)
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  • 関連出版物
『宮本常一のまなざし』(佐野眞一/みずのわ出版)
『宮本常一が見た日本』(佐野眞一/日本放送出版協会)
『宮本常一の伝説』(さなだゆきたか/阿吽社)
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