このページの先頭です 写真資料へ移動 キーワードデータへ移動 プロフィールへ移動 港区とのかかわりへ移動 ウォーキングポイントへ移動 著作へ移動 関連出版物へ移動 港郷土資料館収蔵資料へ移動 末尾メニューへ移動



(C)赤毛のアン記念館・村岡花子文庫
村岡花子関連写真
(C)赤毛のアン記念館・村岡花子文庫

村岡花子(むらおか・はなこ)

  • 生年
明治 26年(1893)
  • 没年
昭和 43年(1968)
  • 活躍年代
昭和
  • 職業
翻訳家 児童文学者
  • ゆかりの地
東洋英和女学校
  • 現地名
六本木5-14-40地図を表示

  • キーワード
赤毛のアン 東京放送局


  • プロフィール
明治26-昭和43(1893-1968)。翻訳家、児童文学者。東洋英和女学校高等科時代より佐佐木信綱の門下生として和歌、日本の古典を学ぶ一方、歌人でアイルランド文学の翻訳者・片山廣子のすすめで童話も書き始めました。女学院卒業後は英語教師、出版社勤務を経て、昭和2年(1927)にマーク・トウェインの『王子と乞食』を翻訳したのを契機に、『クリスマス・カロル』『赤毛のアン』『フランダースの犬』などの家庭文学を数多く日本に紹介しました。

  • 港区とのかかわり
『赤毛のアン』を生んだ、東洋英和女学校での少女時代

カナダ・メソジスト教会(現・合同教会)の婦人宣教師マーサ・カートナルが麻布鳥居坂に設立した東洋英和女学校で学んでいます。随筆集『生きるということ』では、夕暮れとともにガス燈に火がともる光景が趣き深かったこと、麻布十番の餅菓子屋で買った大きな金つばを寮の仲間とおいしく食べたことなど、赤毛のアンを髣髴とさせる感性豊かな少女時代が紹介されています。

村岡は『赤毛のアン』などの翻訳によって児童文学者として知られていますが、愛宕山にあった東京放送局(のちのNHK)のラジオ番組『子供の新聞』を担当し、「村岡のおばさん」としても親しまれていました。放送は昭和7年(1932)から太平洋戦争が始まる昭和16年まで続きました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『生きるということ』(村岡花子/あすなろ書房)

  • 著作
『ヘレン・ケラー 20世紀の奇跡』(偕成社)
『赤毛のアン』(ルーシー・モード・モンゴメリ/村岡花子訳/新潮文庫)
著作を検索