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『現代日本文学体系 25』より 撮影:大竹新助
吉井勇関連写真
『現代日本文学体系 25』より 撮影:大竹新助

吉井勇(よしい・いさむ)

  • 生年
明治 19年(1886)
  • 没年
昭和 35年(1960)
  • 活躍年代
明治 大正 昭和
  • 職業
歌人 劇作家 小説家
  • ゆかりの地
東京放送局
  • 旧地名
愛宕町
  • 現地名
愛宕2-1-1地図を表示

  • キーワード
久保田万太郎 攻玉社 ゴンドラの唄 東京放送局


  • プロフィール
明治19-昭和35(1886-1960)。歌人、劇作家、小説家。与謝野鉄幹主宰の新詩社に入り、『明星』に短歌を発表。明治41年(1908)耽美派の拠点となる「パンの会」を結成し、翌年には森鴎外の監修のもと、石川啄木らと『スバル』を創刊して戯曲も多く発表しました。また、黒澤明監督の映画『生きる』の中で歌われる「ゴンドラの唄」の作詞者としても知られています。

  • 港区とのかかわり
ラジオドラマに良質の創作シナリオを提供

芝区高輪の海の見渡せる広い邸宅で生まれ、幼少期を過ごしています。東京府立第一中学、攻玉舎中学に通いながら、短歌づくりを始めました。『スバル』の創刊号で森鴎外の書いた戯曲『プルムウラ』を読んだことがきっかけで戯曲づくりに熱中します。

四国、中国、九州、京都と各地を放浪する一方、大正14年(1925)に愛宕山でラジオ放送を始めた東京放送局(のちのNHK)の要請を受けて小山内薫、久保田万太郎らとともに「ラジオドラマ研究会」に参加。同年、『最後の接吻』『劇場入口の半時間』『鴎の死骸』などのラジオドラマ用のシナリオを発表します。昭和2年(1927)には旅芸人を主人公にした『雨の夜話』がラジオドラマとして放送されました。吉井の放浪体験を生かした哀愁漂う内容で、ラジオ黎明期のファンに好評を博しています。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『私の履歴書文化人1』(日本経済新聞社)
『吉井勇研究』(木俣修/番町書房)
『ラヂオ年間1938年度版』(日本放送協会)
『20世紀放送史』(日本放送協会)
『放送50年史』(日本放送協会)

  • ウォーキング・ポイント
吉井勇の墓(南青山2丁目・青山霊園)

  • 著作
『狂える恋』(新潮社)
『午後三時』(東雲堂)
『酒ほがひ』(短歌新聞社)
『生ひたちの記』(臼井書房)
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  • 関連出版物
『吉井勇』(小高根二郎/沖積舎)
『吉井勇研究』(木俣修/番町書房)
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