ラグーザ玉(らぐーざ・たま)
文久 元年(1861)
昭和 14年(1939)
明治 大正 昭和
洋画家
ラグーザお玉墓
元麻布3-5-16・長玄寺

工部美術学校 ラグーザ
文久元-昭和14(1861-1939)。洋画家。芝新堀で増上寺の差配(管理人)の次女として生まれ、小学校に入る前から日本画家について本格的に絵を習い始めました。明治9年(1876)工部美術学校が設立され、彫刻の教授としてイタリアから招かれたラグーザに洋画を学びますが、明治15年学校が閉鎖。玉はラグーザとともにイタリアに渡り、結婚します。ラグーザが故郷シチリア島パレルモに開いた美術学校の副校長となり、同時に画家としても活躍しました。昭和3年(1928)ラグーザと死別。その後日本の新聞社が玉のことを知り、小説にしたことが契機となって昭和8年帰国します。晩年は清原姓に戻り、芝新堀の生家で過ごしました。
芝で生まれ西洋絵画を習う
玉が生まれ、晩年を過ごした芝新堀は、現在の芝2丁目にあたります。明治5年(1872)に金杉橋のそばにできた龍和小学校に入学。また、玉に西洋絵画の技術を教えていたラグーザの官舎は、三田小山町(現・三田1-11)にありました。帰国後の昭和14年(1939)78歳で死去、清原家の菩提寺である長玄寺に葬られ、記念碑が残されています。
◎参考文献
『ラグーザ・玉女流洋画家第一号の生涯』(加地悦子/日本放送出版協会)
ラグーザお玉墓(元麻布3-5-16・長玄寺)
『ラグーザお玉自叙伝』(木村毅/恒文社)
『異郷に咲いたなでしこの花 イタリアにわたった日本初の女流洋画家ラグーザ玉』(中尾明/PHP研究所)
