万龍(まんりゅう)
明治 27年(1894)
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明治
芸者
赤坂花街
赤坂溜池町
赤坂1丁目付近

美人絵葉書
明治27-?(1894-?)。芸者。本名は田向静。美貌の誉れ高く、当時流行の美人絵葉書のモデルとして知られ、雑誌が実施した全国百美人の読者投票で1位となるほどの人気を博しました。箱根の旅館で水害に遭った際に助けられたことがきっかけで、帝大卒の法学博士・恒川陽一郎と結婚しましたが、数年後に夫は病死し、その後建築家の岡田信一郎と再婚。その夫も亡くなった後は、茶道の教師として弟子の指導にあたりました。
美人絵葉書で人気の赤坂芸者
7歳の時に赤坂の置屋・春本へ養女として入籍。明治半ば、溜池を埋め立てて生まれた赤坂溜池町には、後の赤坂花柳界へとつながる料理屋や芸妓屋が軒を連ねていました。万龍は、当初は赤坂の小学校に通っていましたが、あまりに美しくて他の児童に悪影響を及ぼすという理由で除籍になったというエピソードが残っています。美人絵葉書は、もともと日露戦争の時に出征兵士のための慰問用として作られたものが、戦争後も芸妓のブロマイドのように多数作られ流行したもので、万龍はそのスターでした。その人気ぶりは「酒は正宗、女は万龍」と言われたほどで、化粧品や呉服店のポスターにも登場しました。女流劇作家の長谷川時雨も『近代美人伝』のなかで、万龍の美しさをたたえています。
◎参考文献
『図説・明治の群像296』(学習研究社)
『幕末・明治美人帖』(ポーラ文化研究所編/新人物往来社)
◎画像提供:ポーラ文化研究所
『青春物語』(谷崎潤一郎/中公文庫)
『近代美人伝』(長谷川時雨/大空社)
