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山口 瞳(やまぐち・ひとみ)

  • 生年
大正 15年(1926)
  • 没年
平成 7年(1995)
  • 活躍年代
昭和 平成
  • 職業
作家
  • ゆかりの地
麻布中学
  • 現地名
元麻布2-3-29地図を表示

  • キーワード
直木賞


  • プロフィール
大正15-平成7(1926-1995)。作家。寿屋(現・サントリー)宣伝部に勤め、柳原良平(イラストレーター)、開高健(作家)らとPR誌『洋酒天国』などの編集を手がけました。昭和38年(1963)に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞。翌年からは専業の作家となり、『血族』『居酒屋兆治』といった人気小説を発表します。『週刊新潮』で連載したエッセイ『男性自身』は死の直前まで32年間続きました。

  • 港区とのかかわり
麻布、六本木を遊び場にした少年時代

少年時代を麻布で過ごしています。東町小学校では野球の学校代表チームに選ばれ、2番レフトとして活躍。将棋もかなりの腕前で、修学旅行では汽車の中で腕自慢の校長と勝負して負け知らず。麻布中学に進んでからは、次第に文学へと目覚めていきます。中学2年のとき、山口のジフテリアで亡くなった一番下の妹・不二子のことを書いた作文を朗読していた教師が、途中からもらい泣きをしたといいます。麻布には昭和20年(1945)5月に空襲で実家が焼失するまで暮らしていました。

エッセイ集『新東京百景』には、節分に麻布十番の「豆源」で買った豆を撒いていたこと、麻布中学の帰りに仲間とともに六本木の喫茶店「クローバー」で紅茶を飲んでいたことなどが綴られています。都会人の日常を哀歓をこめて描いた山口にとって、麻布・六本木界隈は懐かしい遊び場であり、散歩道でした。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『新東京百景』(山口瞳/新潮文庫)
『変奇館の主人山口瞳評伝・書誌』(中野朗/響文社)

  • 著作
『江分利満氏の優雅な生活』(新潮文庫)
『血族』(文春文庫)
『居酒屋兆治』(新潮文庫)
『家族』(文春文庫)
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  • 関連出版物
『変奇館の主人 山口瞳評伝・書誌』(中野朗/響文社)
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