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提供:麻布学園
江原素六関連写真
提供:麻布学園

江原素六(えばら・そろく)

  • 生年
天保 13年(1842)
  • 没年
大正 11年(1922)
  • 活躍年代
明治 大正
  • 職業
教育者 政治家麻布中学
  • ゆかりの地
麻布中学
  • 旧地名
麻布本村町
  • 現地名
元麻布2-3-29地図を表示

  • キーワード
麻布中学 東洋英和女学校


  • プロフィール
天保13-大正11(1842-1922)。教育者、政治家。最下級の幕臣の家に生まれましたが、寺子屋での成績が優秀だったことから、幕府の昌平校、講武所で学問を積みました。明治維新後はアメリカ視察を経て、徳川家が移封された静岡に移り住み、沼津兵学校、沼津中学校などの創設に貢献します。明治23年(1890)には第1回衆議院選挙に当選し、自由党、憲政会、政友会の議員を務めました。麻布中学の初代校長、東京キリスト教青年会の理事を務めたことでも知られています。

  • 港区とのかかわり
自由な気風に溢れた麻布中学を創立

明治17年(1884)、麻布区東鳥居坂(現・六本木5丁目)に東洋英和学校が開校され、江原は明治22年より幹事(教頭兼事務長)を務めています。当初は男子の東洋英和学校と女子の東洋英和女学校は隣り合わせに建っていました。明治26年から東洋英和学校の校長に就任し、明治28年「私立麻布尋常中学校」と改称。古武士を思わせるいかつい風貌でしたが、生徒のいたずらには寛容で大変なユーモア好き、幕末維新で九死に一生を得た体験を生徒たちに語る親しみやすい校長でした。生徒とともに学校の宿舎に暮らし、江原を見かけた生徒たちは駆け寄って敬礼し、銭湯で出会えば江原の背中を流すなど生徒たちに愛され続けました。大正11年(1922)5月、恒例にしていた修学旅行への同行を終えた翌日、80歳の生涯を終えました。

◎参考文献
『日本人名大辞典』(講談社)
『麻布中学と江原素六』(川又一英/新潮新書)

  • ウォーキング・ポイント
麻布学園(元麻布2-3-29)

  • 関連出版物
『麻布中学と江原素六』(川又一英/新潮新書)
『麻布学園の100年』(麻布学園百年史編纂委員会編)
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