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みなと雑学BOX

愛宕神社の出世階段登り?ラジオ放送で生中継

「東錦浮世稿談 曲木平九郎」歌川芳年・仮名垣魯文記 慶応3年(1867)港郷土資料館所蔵(左) 現在の愛宕神社の正面階段(右)
愛宕山の標高26メートルの山頂には愛宕神社があり、ふもとから神社へ上る86段40度の急階段は「出世の階段」と呼ばれています。これには次のような故事があります。

3代将軍家光が芝増上寺に父・徳川秀忠の墓参りに出かけた帰りに愛宕山の前を通りかかり、山上に梅の花を見つけて命じました。

「誰か馬で階段を駆け上り、あの梅の枝を手折(たお)ってまいれ」

これに見事に応えたのが丸亀藩の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)です。平九郎は家光から大いに賞賛されて面目をほどこしたと伝えられています。この故事にちなんで、愛宕神社では2年ごとに「出世の石段祭り」が行われます。男たちが神輿をかついで急階段を登るもので、見ている方まで手に汗握る勇壮な祭りです。

馬で登るわけにはいかなかったので、祭りでは神輿と人間に変えたのでしょうが、実は、故事の通りに、この急階段に馬で挑んだ人が過去に3人います。明治時代の馬術師の石川清馬、大正時代の参謀本部部員の岩木利夫、昭和時代のスタントマンの渡辺隆馬です。このうち、岩木利夫の時は、大正14年(1925)に愛宕山山頂でラジオ放送を始めたばかりのJOAK(東京中央放送局、後のNHK)が、その模様を生中継しました。「上り」が成功したところで、「下り」もあることを臨時ニュースで知らせたところ、大勢の見物客が殺到したと言います。大観衆が見守る中、45分かかって「大正の平九郎」が階段を下り終えた時は、見物客まで緊張でヘトヘトだったとか。愛宕神社の階段は、それほどキツい階段なのです。
参考文献
『港区の文化財・第8集 新橋・愛宕山付近』(港区教育委員会)
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