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港区ゆかりの人物データベースプラス


みなと雑学BOX

東京の前方後円墳?郷愁がもたらした大発見

芝公園内の芝丸山古墳
しみじみと故郷を想い、子ども時代の記憶を辿る・・・そんなふとした回想が、古代ロマンの世界を拓く大発見につながろうとは、誰も想像していなかったでしょう。

日本の人類学・考古学の草分けとして優れた業績を残した坪井正五郎(つぼい・しょうごろう1863-1913)は、東京帝国大学在学時代の弥生式土器の発見や、「日本先住民族コロボックル説」などによって知られる新進気鋭の研究者でした。明治22年(1889)、官費留学生として英・仏に渡り、最先端の西欧人類学に触れて、多くを学びます。3年後、長い留学生活を終えて帰国の途についた坪井は、日本に向かう船の中で、久々の故郷に想いをめぐらせていました。

自宅にほど近い芝公園、公園内で目立って高い丸山、増上寺の五重塔・・・・、子どもの頃から親しんできた風景がありありと目に浮かびます。ところが、そのような情景を思い描いているうちに、坪井は、フッと丸山の不自然な高さが気になりだしました。“ひょっとすると丸山は古墳ではないのか”、そんな思いにかられるようになったのです。

帰国後、坪井は“丸山古墳説”を説きますが、東京のど真ん中に、それも増上寺のある芝公園に古代の古墳があるとは誰も信じませんでした。しかし、信念をもって自説を説いて回っているうちに、友人の一人が丸山を踏査して、須恵器や埴輪の破片を発見するに至ります。坪井の“丸山古墳説”は証明され、明治26年(1893)“芝公園内に大型古墳発見”のニュースが世間を沸かせました。

調査の結果、それは全長100m以上に及ぶ大型の前方後円墳でした。古墳の原形は江戸期にかなり壊されていて、わからないことも多いのですが、それでも、東京のど真ん中に見つかった、1500年もの時を超えた古代の痕跡は、現代の私たちにも壮大なロマンを与えてくれます。
参考文献
『日本考古学選集3 坪井正五郎(下)』(斎藤忠編/築地書館)
『日本の古代遺跡32 東京23区』(坂詰秀一/保育社)
『内田魯庵山脈』(山口昌男/晶文社)
関連サイト
現住所
芝丸山古墳(芝公園4-8)地図を表示