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港区ゆかりの人物データベースプラス


みなと雑学BOX

文明開化の武士の商法?牛乳屋は明治のベンチャー

阪川牛乳舗の図(明治18年撮影) 提供:毎日新聞社
明治初期、東京には“元武士”という大量の失業者があふれていて、その救済策の一つに「牛乳屋」という商売がありました。牛乳屋は、空き地になっている大名屋敷を利用できますし、農業ほどの手間はかからず、リスクもほとんどありません。それに、文明開化で肉や乳製品の食用が奨励されているので繁盛しやすく、何より、西洋風の進歩的なイメージがありました。そんなわけで、元武士たちはこぞって牛乳屋商売を始めます。当時は牧畜・搾乳・販売が一体で行われ、牛1、2頭でも商売ができたので芝西久保、芝三田、赤坂、麻布など、港区域内にも多くの牛乳屋が開店しました。

そんな牛乳屋の草分けの一人が元江戸城の奥医師・松本良順でした。良順は長崎で修行中に牛乳の滋養効能を知り、牛乳の飲用を説いていました。牛乳を広めるために、当時人気のあった名優・紀伊国屋澤村田之助や芸妓を呼び集めて、牛乳を飲ませて話題を呼んだというエピソードもあります。明治3年(1870)、良順は義理の叔父で旧旗本の阪川當晴とともに赤坂に「阪川牛乳店」を開きます。

良順にとって牛乳屋はいわば手段で、飲用の啓蒙が目的でした。牛乳屋を開いた翌年には政府に請われて陸軍の軍医総監になりますが、そこでも牛乳の飲用を奨励し、陸軍病院に阪川牛乳店を紹介することまでしていたようです。

しかし、明治末期になって牛乳の搾乳や営業に関する規制ができてくると、それを機に搾乳業者は郊外に移転してしまい、東京都心で盛んだった牛乳屋はたちまち姿を消してしまいました。
参考文献
『牛乳と日本人』(雪印乳業広報室編/新宿書房)