このページの先頭です 本文へ移動 末尾メニューへ移動


港区ゆかりの人物データベースプラス


みなと雑学BOX

海に浮かぶホテル?芝浦に係留されたろせった丸

ろせったホテル 明治末頃(最新東京名所百景)
芝浦の辺りを「江戸切絵図」で見ると長い海岸線になっています。江戸時代、この辺りは景色の良い避暑地であり、名物の芝海老が獲れる豊かな海だったと言います。それが、明治時代に始まった埋立によって埠頭なども整備されるようになりました。そんな芝浦の埠頭に、大型汽船の「ろせった丸」を利用した「ろせったホテル」がありました。

当時のガイドブックや広告などによると、和洋中華の食事を提供する500人の会食可能な大広間や1000人以上が使用できる園遊会場、船内・陸上とも宿泊の設備があった、と記されています。

「ろせった丸(Rosetta」」はイギリス製の大型汽船で、明治34年(1901)、東洋汽船により購入され、日露戦争のときには輸送船として使われていました。この船がもっとも華々しく活躍したのは東洋汽船から尾城汽船に売却されてからです。朝日新聞社主催の日清・日露の戦跡をたどるクルーズに「満韓巡遊船」として使われたのは明治39年(1906)7月から8月にかけてのことでした。さらに、この年の9月から10月にかけては報知新聞社主催の「巡航博覧会」、つまり航行する船で行われる見本市の会場としても使われました。

画家の木村荘八は「芝浦の埋め立てが始まる頃、忽然として海の中に、長い桟橋伝いに行く、ロセッタ・ホテル(表記原文のまま)という、大汽船を澪につないだ異観。それを改造してホテル仕立てにした新風景が現われて、一時流行したことがあった」(『大東京繁盛記』)と記しています。

その後、第一次世界大戦の時に「ろせった丸」は再び戦場に駆り出されたとも言われますが、いつ廃船になったかも定かではありません。海に浮かぶ優雅なホテル、「ろせったホテル」は幻のように芝浦から姿を消してしまったのです。
参考文献
『嘉永・慶応江戸切絵図』(人文社)
『江戸名所図会』(斎藤幸雄編/新典社)
『明治時代は謎だらけ』(横田順彌/平凡社)
現住所
ろせったホテルの係留地(海岸3丁目付近)地図を表示