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みなと雑学BOX

世紀の送迎会?慶応義塾の過激なイベント

世紀送迎会で学生たちが風刺画を一斉射撃(『時事新報』明治34年1月2日号掲載の挿絵)。右上の燈明台に「独立自尊」「文明の光」の文字が見えます。
日本の西暦導入(明治6年)後に、初めて迎えた新世紀の明治34年(1901)、三田の慶應義塾で「世紀の送迎会」と題する一大イベントが催されました。

1900年12月31日の大晦日午後8時、三田の慶応義塾で開催された「世紀の送迎会」は、福沢諭吉社頭をはじめ、塾員、学生など総勢500名が参加し、「逝けよ19世紀」と題する長大な世紀送迎の辞の朗読で始まりました。新しい世紀への意志と期待に満ちた弁舌に場内は興奮し、その後の晩餐会で雰囲気は一気に盛り上がります。会場の壁には、黒船来航、三国干渉、ロシア皇帝の戴冠式など19世紀の出来事を風刺した数十枚の絵画が掲げられ、晩餐の話題は尽きません。余興の寸劇も、19世紀の骸骨が20世紀の童子に冠を譲ろうとするところを列強各国が阻み、あわやというところで日本が登場し、無事に冠を童子に授ける、という内容で、満場は拍手喝采。

いよいよ新世紀誕生の瞬間が近づき、待望の野外フィナーレです。運動場に大かがり火が焚かれ、空中には19世紀の悪癖を象徴する3点の風刺画(居眠りする儒学者、農民・労働者・商人の上に胡坐をかく政治家、妾に号令をかける旦那)が掲げられました。その風刺画が午前0時を合図に一斉射撃で撃たれ、勢いよく炎上します。19世紀が燃え上がると、仕掛け花火が華々しく「二十センチュリー」の文字を夜空に浮かび上がらせました。参加者の興奮は頂点に達し、万歳三唱の大合唱でイベントの幕は閉じました。

当時、一般的な記年法は日本独自の元号と神武天皇の即位を紀元とする皇紀でした。それからすると20世紀到来の西暦1901年は、元号で明治34年、皇紀では2561年という何とも中途半端な年なので、庶民感覚としては「新世紀の到来」といってもあまりピンとこなかったかもしれません。でも、この「世紀の送迎会」は100年以上も昔のものとは思えないほど、エンタテインメント満載の凝りに凝ったイベントだったことは確かなようです。
参考文献
『明治ものの流行事典』(湯本豪一/柏書房)
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