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港区ゆかりの人物データベースプラス


みなと雑学BOX

高輪の怪談?光福寺のゆうれい地蔵

光福寺の子安地蔵(ゆうれい地蔵)
高輪二本榎のあたりは昔から寺町として知られています。江戸切絵図にも「二本榎丁」という記載があり、たくさんの寺が描かれています。二本榎の名は、上行寺に二本の大きな榎があって遠くからもよく見えたことに由来すると言われています。二本榎交差点のそばにあった上行寺は明治になって神奈川県へ移ってしまいましたが、近くには新しい榎が植えられています。また、ゆかりの榎も承教寺(高輪二郵便局の隣)の門前に移されています。

さて、高輪消防署二本榎出張所のレトロな建物が面した二本榎交差点を過ぎ、高野山東京別院、日本基督教団高輪教会を見て進むと、左手に光福寺が見えます。光福寺にはこんな怪談が残っています。

江戸の昔のことです。二本榎にある飴屋に毎晩赤ん坊を連れた若い女性が飴を買いにきます。雨でも傘をさしていないので不思議に思った飴屋の主人が、ある日母子の後をつけてみたところ、寺の中に入っていきました。数日後、今度は住職とともに後をつけていくと、地蔵の前にたどりつきました。住職がこの地蔵を毎日供養すると、不思議なことに母子は現れなくなったということです。

この地蔵は品川沖からあがり、死んだ母親に代わって子どもを育てたという言い伝えがあり、「子安地蔵」として境内に祀られています。昔からよくある飴買い幽霊の伝承話と結びつきゆうれい地蔵と呼ばれるようになったのは、地蔵がまるで岩から浮き出てきたような、ちょっと不気味な姿にみえるからでしょうか。
参考文献
『港区文化財のしおり 区指定・登録文化財編』(港区教育委員会)
現住所
光福寺(高輪3-14)地図を表示