浮世絵散歩
[江戸・明治を歩く]
高輪大木戸
解説
高輪の大木戸は、江戸の治安維持のため、宝永7年(1710)に東海道の両側に石垣を築き、設置されました。各町にある「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であることから、「大木戸」と呼ばれ、旅人やその送迎客でにぎわいました。初めは柵門があり明六ツ、暮六ツに開閉していましたが、後に廃止され、浮世絵には石垣のみが描かれています。伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点がこの大木戸でした。明治初年に西側の石垣は取り払われ、現在は国道15号線(第一京浜国道)沿いに東側の石垣だけが残されています。
「東都品川宿高輪大木戸(とうとしながわじゅくたかなわおおきど)」
昇亭北寿
[寛政末期-文政期(1800-30)頃]
西村屋与八
高輪大木戸跡(高輪2-19 第一京浜国道)
「東都名所 高輪之夕景(とうとめいしょ・たかなわのゆうけい)」
広重(歌川広重初代)
天保3-5年(1832-34)頃
佐野屋喜兵衛
高輪大木戸跡(高輪2-19 第一京浜国道)
(左図)
「東海道名所之内 高輪大木戸(とうかいどうめいしょのうち・たかなわおおきど)」
広重(歌川広重二代)
文久3年(1863)4月
遠州屋彦兵衛
高輪大木戸跡(高輪2-19 第一京浜国道)
(右図)
「東京名勝図会 高輪大木戸(とうきょうめいしょうずえ・たかなわおおきど)」
広重(歌川広重三代)
明治元年(1868)11月
平野屋新蔵
高輪大木戸跡(高輪2-19 第一京浜国道)