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港区ゆかりの人物データベースプラス


浮世絵散歩

[名所を歩く]

赤坂

解説

「赤坂」という名称は茜草の茂る赤根山の坂からきていると言われています。寛永年間には赤坂見附から四谷へ上る坂の周辺に紀伊和歌山藩徳川家中屋敷があり、「紀伊国坂(きのくにざか)」と呼ばれました。

江戸時代、赤坂溜池は浮世絵にも描かれることの多い、風光明媚な名所として知られていました。浅野幸長によって開発された溜池は、江戸城の外堀として、また上水源として利用されただけではなく、池にはハスが植えられ、コイも放されて、人々の憩いの場でもありました。溜池の南岸には、土手を補強するために桐の木が数多く植えられ、「桐畑」と呼ばれていました。

(左図)
名称
「名所江戸百景 紀乃国坂赤坂溜池遠景(めいしょえどひゃっけい・きのくにざかあかさかためいけえんけい)

絵師
広重(歌川広重初代)

年代
安政4年(1857)9月

版元
魚屋栄吉

所在地
紀伊国坂(元赤坂2丁目弁慶堀付近)地図を表示

(右図)
名称
「名所江戸百景 赤坂桐畑(めいしょえどひゃっけい・あかさかきりばたけ)

絵師
広重(歌川広重初代)

年代
安政4年(1857)[4月]

版元
魚屋栄吉

所在地
赤坂桐畑跡(赤坂2-7から10付近)地図を表示

(左図)
名称
「名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい(めいしょえどひゃっけい・あかさかきりばたけうちゅうゆうけい)

絵師
広重(歌川広重二代)

年代
安政6年(1859)4月

版元
魚屋栄吉

所在地
赤坂桐畑跡(赤坂2-7から10付近)地図を表示

(右図)
名称
「武蔵百景之内 赤坂きり畑山王うら山(むさしひゃっけいのうち・あかさかきりばたけさんのううらやま)

絵師
清親(小林清親)

年代
[明治17年(1884)]

版元
小林鉄次郎

所在地
赤坂桐畑跡(赤坂2-7から10付近)地図を表示