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港区ゆかりの人物データベースプラス


浮世絵散歩

[江戸・明治を歩く]

高輪鉄道

解説

明治5年(1872)高輪-品川間の鉄道開通によって、眺望の開けた高輪海岸の新たな風物として鉄道が描かれるようになりました。製作年が開業の前年(1871)になっている作品もあることから、絵師が外国の書物を参考にしたり、想像によって鮮やかな意匠の列車を描いたことがうかがえます。

高輪鉄道は海の堤の上を走っていますが、これは当時の兵部省が高輪の土地を「軍事上必要であるから手放せない」と 測量すらさせなかったのに対して、大隈重信が「軍の土地などいらぬ,陸蒸気(おかじょうき)を海に通せ」と、田町-品川間2.7kmの海上に幅6.4mの堤防を築き,その上に線路を通したためです。
名称
「高縄鉄道之図(たかなわてつどうのず)

絵師
芳年(歌川芳年)助筆:年延(歌川年延)

年代
明治4年(1871)9月

版元

所在地
高輪鉄道跡(芝浦付近)地図を表示

名称
「高縄蒸気車往来の図(たかなわじょうきしゃおうらいのず)

絵師
国政(歌川国政)

年代
明治4年(1871)9月

版元
山城屋甚平衛

所在地
高輪鉄道跡(芝浦付近)地図を表示

名称
「東京名勝之内 高輪蒸気車鉄道全図(とうきょうめいしょうのうち・たかなわじょうきしゃてつどうぜんず)

絵師
国輝(歌川国輝)

年代
明治5年(1872)

版元

所在地
高輪鉄道跡(芝浦付近)地図を表示

名称
「東京名勝高輪 蒸気車鉄道之全図(とうきょうめいしょうたかなわ・じょうきしゃてつどうのぜんず)

絵師
芳年(歌川芳年)

年代
明治4年(1871)9月

版元
山城屋甚兵衛

所在地
高輪鉄道跡(芝浦付近)地図を表示