明治5年(1872)高輪-品川間の鉄道開通によって、眺望の開けた高輪海岸の新たな風物として鉄道が描かれるようになりました。製作年が開業の前年(1871)になっている作品もあることから、絵師が外国の書物を参考にしたり、想像によって鮮やかな意匠の列車を描いたことがうかがえます。
高輪鉄道は海の堤の上を走っていますが、これは当時の兵部省が高輪の土地を「軍事上必要であるから手放せない」と 測量すらさせなかったのに対して、大隈重信が「軍の土地などいらぬ,陸蒸気(おかじょうき)を海に通せ」と、田町-品川間2.7kmの海上に幅6.4mの堤防を築き,その上に線路を通したためです。