浮世絵散歩
[江戸・明治を歩く]
高輪の月見
解説
現代では、月見といえば十五夜のことですが、江戸時代には十三夜や二十六夜もありました。もともと月見は中国の風習ですが、十三夜は日本独自のもので陰暦の9月13日に出る月を祝いました。また、陰暦の1月と7月の26日に月の出を待って拝むことを二十六夜待ちと言い、月光の中に阿弥陀・観音・勢至の三尊の姿が現れると信じられていました。江戸では月の出を拝むことのできる海岸や高台に人々が集まり、高輪や品川の海岸は多くの人でにぎわいました。料理屋は繁盛し、路上には屋台が並び、歌舞音曲の催しも行われました。とくに7月の二十六夜待ちがさかんに行われました。
「江戸名所 高輪の月見(えどめいしょ・たかなわのつきみ)」
国輝(歌川国輝初代)
弘化4年(1847)
伊場屋久兵衛
「江戸名所 四季のながめ(正しい字は「目」へんに「永」) 高輪月の景(えどめいしょ・しきのながめ・たかなわつきのけい)」
広重(歌川広重初代)
弘化4-嘉永4年(1847-51)頃
丸屋甚八
(左図)
「東都名所年中行事 七月 高輪廿六夜(とうとめいしょねんちゅうぎょうじ・しちがつ・たかなわにじゅうろくや)」
広重(歌川広重初代)
安政元年(1854)4月
丸屋甚八
(右図)
「江戸自慢三十六興 高輪廿六夜(えどじまんさんじゅうろっけい・たかなわにじゅうろくや)」
豊国(歌川豊国三代)・広重(歌川広重二代)
元治元年(1864)2月
平野屋新蔵