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浮世絵散歩
[名所を歩く]
赤羽
解説
江戸時代には「赤羽根」とも表記しました。この辺りは増上寺の西南に位置していて、画中では増上寺の五重塔とともに描かれることが多くありました。幕末には赤羽接遇所が置かれ、外国人の宿泊施設や幕府役人の詰所や警備の番所などがあったことでも知られています。アメリカ公使館の通訳だった
ヒュースケン
が暗殺されたのは、赤羽接遇所からアメリカ公使館のあった麻布善福寺へと戻る途中のことでした。
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(左図)
名称
「江戸名勝図会 赤羽根(えどめいしょうずえ・あかばね)
」
絵師
広重(歌川広重二代)
年代
文久2年(1862)閏8月
版元
藤岡屋慶次郎
所在地
赤羽橋(東麻布1丁目付近)
(右図)
名称
「東京名所四十八景 赤羽根はし(とうきょうめいしょしじゅうはちけい・あかばねはし)
」
絵師
昇斎一景
年代
明治4年(1871)8月
版元
蔦屋吉蔵
所在地
赤羽橋(東麻布1丁目付近)
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名称
「東都名所 芝赤羽根 増上寺(とうとめいしょ・しばあかばね・ぞうじょうじ)
」
絵師
広重(歌川広重初代)
年代
[天保11-13年(1840-42)頃]
版元
所在地
赤羽橋(東麻布1丁目付近)
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名称
「名所江戸百景 増上寺塔赤羽根(めいしょえどひゃっけい・ぞうじょうじとうあかばね)
」
絵師
広重(歌川広重)
年代
安政4年(1857)1月
版元
魚屋栄吉
所在地
増上寺五重塔跡(芝公園4-8丸山古墳付近)
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