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港区ゆかりの人物データベースプラス


浮世絵散歩

[江戸・明治を歩く]

元禄赤穂事件

解説

江戸時代中期に発生した主君仇討ち事件。元禄14年2月4日(1701年3月3日)に赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみ・ながのり)が、高家(こうけ)・吉良上野介義央(きらこうづけのすけ・よしなか)への遺恨から、江戸城内松の廊下で刃傷事件を起こしたのが事件の発端でした。浅野は切腹、吉良はお咎めなしということになり、処分に不服だった大石内蔵助良雄以下赤穂義士47人が、元禄15年12月14日(1703年1月30日)に吉良邸に討入り、上野介への仇討ちを果たしました。荻生徂徠の提言もあり、後に義士は切腹処分になり、主君とともに高輪の泉岳寺に葬られました。
名称
「泉岳寺有古之木像 誠忠義士之内二十四騎之図(せんがくじゆうこのもくぞう・せいちゅうぎしのうちにじゅうよきのず)

絵師
芳虎(歌川芳虎)

年代
明治2年(1869)3月

版元
若狭屋甚五郎

所在地
泉岳寺(高輪2-11-1)地図を表示

名称
「誠忠義士討入姓名(せいちゅうぎしうちいりせいめい)

絵師
芳員(歌川芳員)

年代
安政6年(1859)11月

版元
加賀屋右吉衛門・吉兵衛

所在地

名称
「誠忠義士聞書之内 討入本望之図(せいちゅうぎしききがきのうち・うちいりほんもうのず)

絵師
国芳(歌川国芳)

年代
嘉永5年(1852)3月

版元
三田屋喜八

所在地