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港区ゆかりの人物データベースプラス


浮世絵散歩

[名所を歩く]

増上寺

解説

江戸時代、増上寺は徳川家康の尊崇を受け、徳川家の菩提寺として繁栄をきわめました。江戸の大寺院として広く知られ、修行僧は3千人を数え、境内敷地は25万坪あり(現在は1万6千坪)、周辺は門前町として整えられました。増上寺には、2代将軍秀忠6代将軍家宣7代将軍家継、9代将軍家重、12代将軍家慶、14代将軍家茂の、6人の将軍の墓所が設けられています。また、各公の正室と側室の墓も設けられていますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮(皇女和宮)も含まれています。
名称
「東都名所 芝神明増上寺全図(とうとめいしょ・しばしんめいぞうじょうじぜんず)

絵師
広重(歌川広重初代)

年代
天保3-13年(1832-42)頃

版元
蔦屋吉蔵

所在地
増上寺(芝公園4-7-35)地図を表示

名称
「三縁山増上寺参門眺望之図(さんえんざんぞうじょうじさんもんちょうぼうのず)

絵師
昇斎一景

年代
明治5年(1872)8月

版元
万屋孫兵衛

所在地
増上寺(芝公園4-7-35)地図を表示

名称
「江戸名所 芝増上寺 従山門上市中眺望之図(えどめいしょ・しばぞうじょうじ・さんもんじょうよりしちゅうちょうぼうのず)

絵師
広重(歌川広重初代)

年代
安政元年(1854)閏7月

版元
有田屋清右衛門

所在地
増上寺(芝公園4-7-35)地図を表示

名称
「東都名所 芝増上寺雪中之図(とうとめいしょ・しばぞうじょうじせっちゅうのず)

絵師
広重(歌川広重初代)

年代
弘化4-嘉永4年(1847-51)頃

版元
丸屋清次郎版

所在地
増上寺(芝公園4-7-35)地図を表示

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