江戸時代、増上寺は
徳川家康の尊崇を受け、徳川家の菩提寺として繁栄をきわめました。江戸の大寺院として広く知られ、修行僧は3千人を数え、境内敷地は25万坪あり(現在は1万6千坪)、周辺は門前町として整えられました。増上寺には、
2代将軍秀忠、
6代将軍家宣、
7代将軍家継、9代将軍家重、12代将軍家慶、
14代将軍家茂の、6人の将軍の墓所が設けられています。また、各公の正室と側室の墓も設けられていますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる
静寛院和宮(皇女和宮)も含まれています。