このページの先頭です 本文へ移動 末尾メニューへ移動


港区ゆかりの人物データベースプラス


浮世絵散歩

[江戸・明治を歩く]

近代の名所絵

解説

美人画、役者絵、名所絵、相撲絵などの江戸の浮世絵は、庶民の関心の高い情報を伝える大衆メディアとして発展しました。明治になっても、西洋から流入してくるさまざまな文化や風俗を伝える「横浜絵」や「開化絵」として、その役割を継続しました。

しかし、近代的な印刷技術や写真技術の流入によって、次第に浮世絵の情報伝達のメディアとしての価値は色あせ、庶民の関心を引き付けることはできなくなっていきます。「光線画」という独自の画風を確立し、東京の名所を描いた小林清親や、それを受け継ぐ井上安治や土屋光逸のように、浮世絵版画は徐々に娯楽性や情報性よりも芸術性の求められる媒体へと変化していきました。

明治30年代以降には、自分で描いた絵を、自分で彫り、自ら摺る(自画・自刻・自摺)ことによって、個性と芸術性を追求しようとした、「創作版画」の流れが起こり、浅野竹二などの画家が生まれます。

また、大正初期、版元・渡邊庄三郎は「新版画運動」を唱導し、「高度な技術を継承する彫師・摺師によって版画作品を完成させる工程は、画家の個性を制限するのではなく、むしろ不可欠である」という考え方に基づき、伝統技術を引き継ぎながら、新しい時代にも受け入れられる、芸術性の高い版画作品を創出しました。新版画運動の画家としては川瀬巴水、笠松紫浪などが知られています。

遊びを入れたり、工夫を凝らしながらも、型通りの風景を伝統的な技法で描いた江戸や明治初期の名所絵に対して、近代の名所絵は画家の個性や表現法に負った芸術作品へと変わっていきました。
名称
「武蔵百景之内 芝増上寺雪中(むさしひゃっけいのうち・しばぞうじょじせっちゅう)

絵師
小林清親

年代
明治17年(1884)11月

版元
小林鉄次郎

所在地
増上寺(芝公園4-7-35)地図を表示

名称
「東京真画名所図解 赤坂仮皇居(とうきょうしんがめいしょずかい・あかさかかりこうきょ)

絵師
探景(井上安治)

年代
明治15-20年(1882-87)頃

版元

所在地
旧赤坂仮皇居(元赤坂2丁目紀伊国坂付近)地図を表示

名称
「高輪泉岳寺(たかなわせんがくじ)

絵師
土屋光逸

年代
昭和8年(1933)5月

版元
飯田国太郎

所在地
泉岳寺(高輪2-11-1)地図を表示

名称
「東京名所ノ内 弁慶橋春雨(とうきょうめいしょのうち・べんけいばしはるさめ)

絵師
竹二(浅野竹二)

年代
昭和31年(1956)

版元

所在地
弁慶橋(元赤坂1-2付近)地図を表示

(左図)
名称
「新東京百景 芝大門之雪(しんとうきょうひゃっけい・しばだいもんのゆき)

絵師
巴水(川瀬巴水)

年代
昭和11年(1936)2月

版元
渡邊庄三郎

所在地
芝大門(大門通り芝大門交差点)地図を表示

(右図)
名称
「紀の国坂 梅雨(きのくにざか・つゆ)

絵師
紫浪(笠松紫浪)

年代
昭和13年(1938)夏

版元

所在地
紀伊国坂(元赤坂2丁目弁慶堀付近)地図を表示